日本語で「暮らし」という言葉を使うときは、単なる物質的な側面だけでなく、心の満足や生活の質、幸福感なども含めて、広い意味での日常のあり方を表現することが多いですね。人生も、「暮らし」に関連される言葉になるようです。
※当ブログは、Amazonアソシエイトとして適格販売により収入を得ています。また、第三者配信の広告サービスを利用しています。
短編集の「山本周五郎名品館Ⅳ:将監さまの細みち」を読んでみました。発行は、2018年7月です。山本 周五郎氏の作家としての活動期間は、1926年 – 1967年 でした。
最終学歴は尋常小学校卒です。現在であれば、中学校2年までの学歴しかありません。その後、山本 周五郎氏は社会人として働きに出ます。なぜ、学歴を記したかと言えば、学歴が無くても、日本文学史に残る優れた小説を後世に残した作家のひとりだからです。多くの作家の作品が絶版になっている事実がある中で、「優れた作品を後世に伝えたい」という強い願いから発刊された短編集です。
優れた短編の中でも「深川安楽亭」という作品は、とくに印象に残りました。居酒屋の常連客のひとりは、いつも静かに酒を飲みながら独り言をつぶやく、奇怪な客のようです。居酒屋に通う富次郎は、金に困っていた。
ある日客は、「外で飲もう」と言って寅次郎を誘う。寅次郎はその客を襲い、金を奪うことを考えるのだが……。
「ゆくなら若い者に案内させるぜ」と幾造は言った。「足場が悪いから案内をさせよう、大事な持ち物があったら預かっておくぜ」「そんな心配はご無用だ」「だってお金を持っているんだろう。いつもそう言ってたように思うぜ」「金は持っている」とその客はふところを叩いた。
寅次郎が顎をひきしめ、右手をすっとふところへ入れた。すると客が「それには及ばねぇ」と言った。
「そんな物を出すことはねぇ」と客は静かに振り返った。「そんなことをしなくっても、金はおまえにやるよ」
「金がなんだ。百や二百の金がなんだ」と客は呻くように言った。「女房や子供が死んでしまって、百や二百の金がなんの役に立つ、金がなんの役に立つかってんだ」彼は気が狂いそうになり、狂ったように酒浸りになった。彼は自分を呪い、その金を呪った。
出典: 「深川安楽亭」引用文
「深川安楽亭」の短編を読了したのち、ある記事が目に留まり読んでみました。不思議なことに、テーマが似ているように思えたのです。「誕生した瞬間から、人は死に向かっている」ことを、肝に銘じたいと思います。
裕福な資産家を襲った癌
オーストラリア出身のAli Banat氏。彼は5月29日、癌の為亡くなった。享年32歳だった。
Banat氏は裕福な家庭に育ち、自身も会社を経営するなどし、幼い頃から金銭には全く不自由しない生活を送っていたという。
インタビューでは、高級ブランドの時計や宝飾、衣類が所狭しと並んでいる彼の部屋が紹介されている。(動画2:30秒頃から)
しかし2015年、そんな彼の人生が大きく変わる出来事が起こる。Banat氏は癌を発症したのだ。病状は既にステージ4まで進行しており、余命7カ月と告げられた。