「暮らし」という言葉は、日常生活や日々の営みを指す言葉です。具体的には、住む場所や食事、仕事、家族との時間など、人が日々の生活を送るために行うすべてのことを含みます。
日本語で「暮らし」という言葉を使うときは、単なる物質的な側面だけでなく、心の満足や生活の質、幸福感なども含めて、広い意味での日常のあり方を表現することが多いですね。人生も、「暮らし」に関連される言葉になるようです。
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シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録
真実か、白昼夢か
追悼 唐十郎/17年ぶりの再上映
ドキュメンタリーという名のホラー
唐的妄想大爆発!1967年、新宿・花園神社の紅テント公演で、演劇界に革命的な衝撃を与えた天才劇作家・唐十郎。それから40年、67歳になっても芝居に対する情熱は衰えることを知らず、唐は自らを「偏執狂」と呼ぶ。2006年秋の新作戯曲執筆から2007年春の公演初日までを追った今回のドキュメントには、芝居作りに賭ける唐のすさまじい「偏執」ぶりがありありと描き出される。
唐十郎 kara juro
劇作家・演出家・俳優 1940年生。1964年、劇団「状況劇場」を率い劇作家デビュー。70年代にかけて大ブームが起きる。状況劇場出身の主な俳優は、李麗仙、麿赤児、根津甚八、小林薫、佐野史郎ら。1970年「少女仮面」で第15回岸田國土戯曲賞受賞。作家としても活躍し、1983年「佐川君からの手紙」で第88回芥川賞受賞。1988年、状況劇場を解散、劇団唐組を設立。2004年「泥人魚」で第38回紀伊國屋演劇賞・第7回鶴屋南北戯曲賞・第55回読売文学賞を受賞。2006年、読売演劇大賞芸術栄誉賞受賞。2024年5月4日、逝去。
20歳のころ、人生の岐路に立った時期がありました。当時、私は進路について深く悩み、苦しんだ時期でした。好きな小説を読んでいる時だけが、癒されている状況だったのです。
生きていることへの苛立ちと言えばよいのでしょうか。当時のことを思い出してみても、複雑な心境が駆け巡ってゆくばかりで、上手く書き記すことができないと思います。ただ言えることは、書物の中で出会った見ず知らずの著者、例えば「寺山修司氏」や「唐十郎氏」の著作や演劇活動を垣間見て、生きることへの希望を見いだしたことです。良い意味で刺激を受けていました。
だから、このブログは備忘録として記しているつもりです。けれども、このブログは単なる「創作日記」のようなものでしかないように思えるのです。
しんいちが角膜移植で手に入れた片目。ある日この眼の前の持ち主の恋人くるみが現れる。しんいちの意思に反して反応する眼。それは闇ルートで買った「ジャガーの眼」と呼ばれるものだった。 「肉体の一部を追うものはなく、まして追われようとする肉体の一部もない。」とDr弁は言うが・・・・・。