「暮らし」という言葉は、日常生活や日々の営みを指す言葉です。具体的には、住む場所や食事、仕事、家族との時間など、人が日々の生活を送るために行うすべてのことを含みます。
また、個々人の生活スタイルや生活環境も「暮らし」に含まれます。たとえば、「田舎の暮らし」「都会の暮らし」というように、生活の場所や状況に応じて異なる意味合いを持つことがあります。
日本語で「暮らし」という言葉を使うときは、単なる物質的な側面だけでなく、心の満足や生活の質、幸福感なども含めて、広い意味での日常のあり方を表現することが多いですね。人生も、「暮らし」に関連される言葉になるようです。
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ひさしぶりに実家の最寄り駅に降りた僕は、バス通りを歩いて両親が暮らす家に向かった。
実家に向かう途中に、用水路に沿った遊歩道がある。かつてこの地域は、田んぼや畑が点在する地域だった。高校時代、僕はこの街に住んでいた。もう、25年前のことだ。
知らず知らず立ち止って、遊歩道に目が向いてしまった。懐かしさがわきあがってきて、寄り道のつもりで思い出のある遊歩道に入った。遊歩道と用水路を仕切るネットフェンスは、当時真新しいフェンスの記憶があったが、今は、ところどころが錆びれているようだ。
放課後の帰り道、当時付き合っていた彼女とよくこの遊歩道を歩いたことを思い出す。
木製のベンチがいくつもあり、日暮れまでベンチに座って話し込んだことが何度もあった。どんな話題であっても、彼女と話しているだけで楽しい気分になった。
ときどき、会話が途切れることがある。そんな時には、彼女の顔色を窺うようにして唇をふさぐ。柔らかな感触のある唇は、僕を拒絶することはなかった。唇から顔を離すと、決まって、彼女の半開きの唇から吐息がもれてゆく。潤んだ瞳は、僕を見つめる。切なくさせるようなまなざしが、僕の胸の底を熱くした。
僕は甘い思い出に浸りながら、目の前にあるベンチに座った。何気なしに用水路に視線を投げる。当時に比べると、水量が少なくなっているように思えた。
用水路の水量の流れを眺めながら、彼女とあの頃に話し合った記憶を反芻してみる。けれど、いくら思い出そうとしても、何も思い出せなかった。ただ確実に言えることは、当時、高校2年生の17歳だった彼女は、現在42歳の中年女性になっていることだけだった。
明るい青空が視界を覆っているというのに、悲しみが沁みて陰鬱な気分になった。
了
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